脳からgoogleまでの距離

たとえばこんな疑問があったとしよう

  • これだれが歌ったなんて歌?

♪... Breezyな空気が喜びを運ぶ...

  • こんな堂々巡りの議論をオレンジ会談と呼ぶって本当?

女子A あたしぃ〜 オレンジが好き!
女子B え〜 あたしぃ〜 オレンジよりりんごが好き!だって匂いがいいし!
女子A え〜でもあたしぃ〜 りんごって皮むかなきゃいけないし〜 オレンジのほうがよくない?
女子B え〜でもオレンジってすっぱいし〜 やっぱオレンジのほうがいくね?
女子A いややっぱあたし〜 (以下略)

  • これは誰のセリフ?

君が何を食べているかをいいたまえ、私は君が何ものかいいあてよう」

  • どの疑問もgoogle(等)がなかったら、なかなか解ける問題ではない。一番目の疑問を解くにはHMVにでも出かけて店員の前で恥ずかしい思いをして歌うしかない。歌ったところで答えが得られる可能性もかなり低い。二番目の疑問は周りの人に聞きまわって、「ああ知ってるよ」とか「そんな言葉聞いたこともない」と証 言を得るしかない。周りが知っているればいいけれど、知らなかった場合、聞いた相手が「たまたまその言葉を知らないだけ」かもしれない。三番目は、どうやって調べたらいいか検討もつかない。つかないからこそクイズ番組に意味があった。
  • 人類が生まれてからgoogleが出てくるまでの長い期間、人類の知識は地球ぐらいの大きさの空間にぐちゃぐちゃに詰め込まれていて、そのほとんどは脳みそが把握しているディレクトリ構造を下に辿る以外 の方法ではアクセスできなかった。つまり、「君は何をたべているか・・・」ってだれのセリフだっけ・・・?、という疑問は、蔵書全めくりするか、村の長老が運良く知ってればわかるかも、というレベルなわけです。
  • それがある数年間を境に一気に逆方向の検索ができることになった。計算機もストレージも通信帯域も 安くなったことだし、今日からはカリフォルニアのマウンテンビューのオリンピックカラーのキャンパスにおいてある数千台のサーバが、ただでスケーラブルなハッシュ構造を提供しますよこんにちはこんにちは!てな感じで。
  • さてこのエントリはやっぱgoogleすげーぜありがとう!とかそういうことをいいたいわけではなくて、 googleを使いはじめたころは、googleを通じてこういう手がかりの乏しい情報を得るのがすげぇ下手くそだったなぁということを思い出したから書いているのです。実際の話、googleに物を尋ねるには、検索に必要十分な語を記憶すればよいだけなのだけれど、疑問発生→検索語の脳内フック→検索、という脳と手の連携フローがスムーズに稼動するまでに3年位かかったよ。
  • 20年ちかく記憶・記録することと 、それらへのアクセス手段の担保は自分以外に頼れなかったのに、それをある日を境にほとんど自分で やらなくてよいし、あなたが確保するパスよりもはるかに自由度の高いアクセスを提供しますよ、とい われても、そうそう使いこなせるわけもなく。。
  • 2007年ぐらいにもの心ついた少年少女は、考えるよりも先にgoogleが使える世界に生まれたわけです。 こういう話になると新しい技術が教育に与える影響を必要以上に警戒する人がいる。携帯がコミュニケーションを破壊する、とかね。使い道の選択に情報技術そのものは中立だ、と僕は思っている。
  • ただ、考えるよりも先にgoogleが使える世界に生まれた彼らは、情報や知識資源の活用効率、というか、外部情報の活用を意識的に実行する労力、という点において、なんか違う生き物になるんじゃないかって気が する。レポートをwikipediaのコピペで構成するなんてけしからん、とかそういうどうでもいいレベルの話じゃなくて、疑問を発想に変換するフローとか、脳内への知識の蓄積法とか、そういう脳のOSレベルの話で。良くも悪くも。平成生まれの人と早くコラボってみたい。
  • 答:一番目はHome made 家族の"Joy Ride"。二番目はウソ。google("オレンジ会談")=一件。この言葉をどっかで覚えてきたのか脳内妄想なのか判別つかなくて困った。三番目はフランスの元祖料理研究家ブリア・サヴァラン『美味礼賛』が出展。

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美味礼讃 (上) (岩波文庫 赤 524-1)

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