私に似たひとを探すには

  • 一年に一回位は自分を見つめなおすために、将来を見据えて未来予想図のようなポジションエントリー(という言葉があるかどうか知らないけれど)を書いてみたいと思い立ったので書いてみる。
  • 誤解を恐れずに言えば、戦後から、だいたい十五年くらい前までは、一般の人が科学技術に希望する未来の形は、戦前からさほど変わっていなかったのではないかと思う。携帯電話、犬や猫の言葉の理解、増殖路、自動翻訳、無人交通、etc...  携帯電話のようにかつてそれを望んでいたことすら忘れてしまうほど現代の生活に浸透した技術もあれば、自動翻訳や無人交通のように道半ばの技術もある。一方、動物の言葉の理解のように、まるで実現もしなければその存在意義すら忘れられている技術もある。
  • もうひとつ、この手の未来予想では必ず登場するにも関わらず、実現の兆しすらないのが、掃除や料理や子育てなどさまざまな家事をこなす万能お手伝いロボットである(自律的に掃除をするロボットはちょっと前に話題になったね)。科学技術庁が1960年に描いた「未来の階段」では以下のような電子家政婦(電子化政府じゃないよ)の実現が予測されている。

主婦がテープレコーダーに一日の仕事を吹き込むと、電子家政婦が洗濯、皿洗い、レコードかけ、炊事、押し売り撃退、子どもの番等の62種類の仕事をこなす。 費用さえ惜しまなければ、今の日本の技術でも可能である。21世紀の家庭は、中流までオートメーション化が進むことが予想される。

  • 中流階級が日本でもだんだんマジョリティでなくなっているというのはおいといて、(財)未来工学研究所の平成9年(ちょっと古いけど)の未来予測でも学習する家事ロボットは登場する。(http://www.iftech.or.jp/publicity/h12/h12_05.pdf, なんなんですかね、未来工学研究所って) 今だったらテープレコーダーじゃなくてNintendo DSをインターフェースに使うんでしょうかね。それともケータイかな。
  • 自律的に多様な仕事をこなす人型ロボットというのは我らドラえもんガンダム世代の理系人間はあこがれてやまない夢である。ホンダのASIMOの人気っぷりをみれば、 理系でなくとも知能的な二足歩行ロボットというのが普遍的なあこがれであるというのはよくわかる。人間そんなに楽しちゃいかん、というお角違いな批判をするつもりはないけれど、僕の意見では、この手のロボットは実現しない。多用途で汎用的な物理デバイスというのは、なんだかとても便利に見えるけど、実際には便利じゃないと思うからだ。
  • この手の話題でよく引き合いにだされるのが、汎用発動機(モーター)という概念である。その昔、一家に一台、汎用モーター、という考え方があったらしい。*1まだモーターが最新技術であり非常に高価であったころ、耕運機や洗濯機や汲み上げポンプや起重機など、さまざまな機器に接続可能なインターフェースをもつ汎用モーターが存在していたらしい。それなりに説得力のある設計だけど、今はだれもそんな七面倒くさいことはしない。今では洗濯機にも耕運機にもそれ専用モーターが装備されているのがあたりまえなのだから。汎用的な物理デバイスというのは、使う側の操作やメンテとしては高コストなんだ。
  • 家事ロボットというのは汎用モーターと同じ路線にある希望的観測である。家事をアシストする専用の機械というのはすでに洗濯機、掃除機、食器洗い機などで実現されているし、インターフェースとしては完成している。これらの機器のデザインや機能に大きな進化はもう何十年もないからね。ひとつのデバイスに汎用化を目指してごちゃごちゃと機能を詰め込むという設計戦略は、十徳ナイフやソフトウェアを詰め込みすぎたwindowsパソコンを見れば、醜悪なユーザビリティにしかならないことがわかる。だから万能家事ロボットはきっとろくでもないだろう(まだ見ぬiPhoneはどうだろう? アレがどんな機能を持っているのかしらないが、あれこれと雑多に機能をつめこんであるならば、僕はアレがiPod程にcoolである可能性はそんなに高くないんじゃないかと思っている)
  • ずいぶんと回り道をしてしまったけど、僕がこのエントリーで本当に書きたかったのは、人間の実世界での活動を汎用的にアシストしてくれる物理デバイスの話ではなくて、人間の情報にまつわる活動を汎用的にアシストしてくれるソフトウェアやサービスの話だ。あれだけ汎用性をけなしておきながら、まだその夢を捨ててはいないんだ。
  • 未来予想的文脈でいえば、これは電子秘書と呼ばれるものだ。同予測に登場する電子秘書的なものは以下の三つである。

電子計算機が計算速度や記憶容量を増し、ある一定の条件を与えることにより、ある事件に対する一般的な法律上の解答を即座に与えてくれる人工頭脳ができ、重役室にその機械を導入し法律顧問の代わりをすることも考えられる。

21世紀には音声タイプライターを通じて、空席になった支店長の後任に誰がよいかは、ただちに回答が出てくるだろう。これは経営者・管理者それ自体である。

電子計算機を導入することで申請の許可すべきか否かの場面で、より正確に、より迅速に「許可す。条件は何々」という答えを与えてくれるであろう。裁判所においても、法律、判例等から演繹的、帰納的に判決の原案が作成され、裁判官はその原案をもととして判決文を厳かに書き下すようになるのもユメではなく技術的には可能である。

  • 理想論を考えよう。「私の意思決定を完全にアシストしてくれる完全な電子秘書」とは何か。その構成要素として以下の4つを考えた。
    1. 世界に関する完全な知識を持つこと。つまり世界に存在するすべての事実を記録していること。
    2. 世界に関する完全なシミュレータを持つこと。任意の仮定を入力として発生するイベントの想定される帰結を出力できること
    3. 私に関する完全な知識を持つこと。私が生まれてから世界に入力された情報と、世界に出力した情報をすべて記録していること。
    4. 私に関する完全なシミュレータを持つこと。私に入力される任意の情報について、私が出力する情報を決定する関数-もうすこし人間的にいえば主義・主張・性向・行動原理-のコピーを持ち、それをなぞれること
  • 1はgoogleの目指すところである。道半ばではあるが。ともあれ、彼らはその実現にむけて頑張っている。2はAgent-based simulationの考え方が近い。でもこれもまだまだ道半ば。3はライフログ(life log)、あるいはマイライフビッツ(my life bits)と呼ばれるものに近い。DARPA(米国防総省)はlife logプロジェクトを打ち切ったとしているが、まあきっとサブマリンでやっているのだろう。
  • 乱暴を承知でいえば、これらの三つは、物理的あるいは論理的な計算パワーと巨大なストレージが解決する問題である。「完全」というタームの緩和が許されるならば、これらは実現可能なのだ。というか、つつましやかではあるがすでに実現されている。では4の実現はどうするか。
  • 人間の感情や理性のようなものを計算機上に実現するのは不可能だが、collective intelligence(集合知)は、私に似た人間はどのような決断を下したか、について有益な情報を教えてくれるという意味で、4の実現に資する、というのが僕の主張である。パーソナライズされたsocial bookmark serviceがそれに近い。このとき計算機の役目はワタシをシミュレートするのではなく、ワタシに似た人を探してきてくれるだけなのだ。それならキカイにもできそうだ。
  • いまのところ六十億人いる人間から、私(Alice)に似た人を探してこれるためには、私に似た人(Bob)はその完全な知識を私(Alice)に公開している必要がある。その逆に、私に似た人(Bob)が私(Alice)を、私(Bob)と似ていると思うには、私(Alice)に関する完全な知識をpublicにしておかなければならない。どんな私だって、私のすべてなどさらけだせるものではない。私を隠したまま私に似た人を探してくることはできるのか。私(トビハネ)が人工知能とプライバシーの境界領域に関する研究をしているのはこのような理由からなのです。でも、これって・・・人がふだん人にやっていることとかわらないのかも。

*1:どうもソースがはっきりしない。昔SONY CSLの増井さんに聞いた話。実物って松下のこれだろうかhttp://panasonic.co.jp/rekishikan/product/product02.html)。