鴨志田穣について
- 内田春菊や西原理恵子の著作に惹かれるのは、単に作品からの印象のみならず、彼女らのスキャンダラスな生活に深くコミットしたエッセイや漫画や映像に触れる機会が多いからかもしれない。そのような経験なくして彼女らの作品の深みに到達できないのかどうかは、残念なことに確認する術がない。ただ、彼女らの現実世界での人となりと作品が一体の評価を願っているように思うのだ。そのような評価を願う女性作家はさほど、珍しくないとも思う。
- 元来、男はスキャンダルの中心という立ち位置があまりお得に働かない。それに依って立つ作品を作ってもあまり面白くもない。そのような立場をとる男で思いつくのは羽賀健二や大隅賢也や大鶴義鶴など、セックスアピールは強く、頭の中身はさっぱりという様な仮面を被るある種の芸能人であるが、言うまでもなく彼らの言動には何の思想も価値も感じない。
- 鴨志田穣は西原理恵子がひっきりなしにスクープするスキャンダルを浴びなければならないが、それに応酬する力量がない。しかも鴨志田穣の文章は、ダイナミックエアロフォルム文体と評されるように、下手くそだ。彼の作品は主に、アジア世界や戦場の猥雑さや無法さ、そしてそこでひどい目に遭っちゃってるオレの悲惨さを主題としているが、それだけをことさらに強調するあまりに、避けがたいうんざり感が漂ってしまう。彼女のスクープへの対抗手段としては非力過ぎるため、結果として、妻の座を利用してうまいこと本だしたんだろ・・・という評価は免れえない。
- 悪趣味としか感じなかった鴨志田穣の文章が、「最後のアジアパー伝」の最終章「独立記念日の夜」と「若い米兵とのケンカ」にて開花したように思う。これまでオレオレinアジアの説明に割かれていた作文上の労力は、アジアや戦場を離れ、沖縄の米軍基地やちょんの間に舞台を移すことによって、彼の情緒と彼の闇に降りていくことに十分に利用された。その結果、どれだけ危険な戦地へ赴いたか、ではなく、どれだけ闇を誠実に記述するか、という点において、オリジナルを築いた。これは西原理恵子という強烈なメディアに寄り添っているからこそなのかもしれないが、それもまた良いんじゃねーの?
- 作者: 鴨志田穣,西原理恵子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/01/12
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 35回
- この商品を含むブログ (24件) を見る