無力な道具

  • 物事を記述するために使う数学と、数学という世界を発展させるための数学は、違う。前者はアルゴルズムのための計算論だったり化学反応系の記述ための微分方程式だったりする。後者は数学者が作る数学だ。
  • 未知の概念や現象を記述するために、これまでになかった新しい数学的概念が生まれることはあるだろうけれど、それが数学界の発展に貢献することはあまりないだろうと思う。基本的にはそのような新しい数学的概念は数学者にとっては(新しくはあっても)特別興味深いものではなくて何かのバリエーションにすぎないのではないだろうか。(圏論とか数論はそういうことがあったのかな)

数学者のほとんどは、計算機に見向きもしない。はっきりいって使えないからだ。数学の最も面白い問題を解くのには、計算機はほとんどの場合無力だからだ。

というのは数学→計算機科学という一方向に限った関係ではない、と思う。計算機科学の面白い問題を解くのにも、計算機はほとんどの場合無力だ。別に最先端のアルゴリズムフレームワークを作っているわけででなくても、計算機が問題解決に役立ってるわけじゃなくて、計算機は人間の試行錯誤につきあってくれてるだけだ。

  • だから、計算機は計算機科学者にとっては、今のところ紙と鉛筆の延長でしかない。もちろん非常に優れた紙と鉛筆なのではあるが。化学者でも、物理学者でも、経済学者でもそうなのだろうけど。