旅より楽しいことがほかにあるかい?(2)

  • さて続きです。俺は一時期、旅というものに失望していた。理由は二つあって、ひとつは円の威力。もうひとつは社会性と旅情の両立。俺はボヘミアンを気取る自己言及野郎です(でした)。
  • 俺の旅最盛期はドル80円〜100円という円最強時代だったのに加え、アジアの通貨危機なんかもあったりして、経済的には旅はホントに楽。日ごろぬくぬくと暮らしている日本人学生が、ちょこちょことバイトをして小金を稼ぐだけで、第三世界への旅なら、一月二月は余裕でしのげてしまう。とすれば、たまたま日本人に生まれたというラックがゆえに成立している旅がどれほどのものなのか?(←このへんが自己言及w) 俺もまた自己言及が必要なタイプの旅人であって、かつ、自己言及に失敗している痛い旅人だったわけですw
  • そういうウシロメタサがあるなかで、インドやらチベットやらを1,2ヶ月程度の旅をするわけだが、そういうハードコアエリアには、これまた一年オーバーのツワモノな旅人がごろごろしてるので、スナフキンばりのボヘ野郎を気取りたくても、それはむなしい作業です。旅に出て二週間目くらいで「へえ〜 再来週日本に帰るんだ。すぐじゃん!」とかいわれては、旅情もへったくれもない。 でも俺としては日本でもいろいろやりたいこともあるし、なんやかやを放り出してずっと放浪とかしてるわけにも行かないしで、中途半端な旅を繰り返すことになる。これが社会性と旅情の両立。
  • そんなこんなで要自己言及なボヘ的旅は終わる。では自己言及に失敗すると、ボヘミアン野郎の旅は終わるのか?終わらない。Rさんがコメントくださったのと同じ感情があるから。

「あな」は「ころころころがって,どこにいくの?」ときかれると「べつにどこへも.ただよのなかをみたいとおもってさ」と答える

  • こういう感情は、一見静謐にみえるけれど、根源では、嫉妬とか恐怖感につながっているように思える。内田春菊は「私たちは繁殖している」の中で、夜泣きでぐずる赤ん坊を外に連れ出すと泣き止み、家で寝かせようとするとまた泣く、という現象を、死への恐怖と解釈している。眠るぎりぎりの瞬間まで新しい情報に触れていたい、触れなければ眠り(死)がやってくる。それに恐怖して泣く。大人の俺の場合は、知らないところで起こっているすべての楽しいことへの嫉妬だ。円が強かろうが弱かろうが、旅情があろうがなかろうがそれはどうでもいい。行ったことがない町が、人が、飯が、酒が、文化が、あれば、そこへは、行かなければ、ならない。これは執念のようなものだと思う。
  • とはいえ、仕事もあるのだから、行きたいときに、行きたい場所に、時間が許す限り行けばよいのだ、という穏健な考えに今は落ち着いているわけです。旅より楽しいことは他にはないという考えに変わりはないけど。千年旅行の行を続けるH社長はどういう感情に基づいて旅をしているのか、よくわからないのだけど、まぎれもなく、僕が考える理想的な旅の形のひとつです。明日からカナダ出張です。

千年旅行は、see also, [http://d.hatena.ne.jp/nelbone/:title=[[]]]

私たちは繁殖しているイエロー (角川文庫)

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