という人間とそうでない人間

  • 世の中には、Xという人間とそうでない人間がいるという言い回しがわりと好きだ。これがなぜおもしろいか(あるいはなぜおもしろくないことがあるか)、を考えてみた。
  • 大局的な人間の性質をストレートに表現する例。「人を使う人間か、人に使われる人間かだ。」「人を殺す人間か、人に殺される人間かだ。」これらはかならずしもXと非Xという構図にはなっていないけれど、「極言すればおまえらは非Xなんだよ、俺はXだけど」、というXからの通告か、「所詮俺らは非Xなんだよ」、という諦観か。このような言い方は別に面白くないけれど、ある意味含蓄深いというか。馳星周なんかが好んで使う表現。
  • 表現そのものが面白い例。「常に傘を持っている人間と、そうでない人間だ。」用意のいい人とそうでない人を比喩している。お好み焼きに載せた、かつおぶしの動きを初めて見た時、 恐がる奴と、喜ぶ奴だ。」は、くだらないけど、なんかおもしろい。
  • X/非Xという排他的ルールを意識的に破る例。「馬鹿と、一見馬鹿には見えない馬鹿だ。」というのは、X/非Xというルールに従っていないが、それを逆手にとって「結局馬鹿ではない人間はいない」というわりと納得のいくメッセージを出している。また、「童貞と、それ以外だ。」という表現はあたりまえすぎておもしろくもなんともないが、「5回以上セックスした奴と、童貞だ。」と表現することによって、「1回以上4回以下セックスをした奴」が「4回以下でやめられるわけないだろw」というメッセージが付け加わるため、ずっと面白さが増す。古典的な表現の例として、西部開拓時代、ある騎兵隊長が残した言葉。「インディアンには2種類しかいない。すなわち、悪いインディアンか、死んだインディアンか、だ」。 これもX/非Xのルールに従わないが、このような主張を強行することで「よいインディアンなど一人もいない」という強いメッセージを印象づけることができる。
  • 唯一性を強調する例。「わたしという人間とそうでない人間の違いは“雰囲気に流されない”ということかもしれません。」ある人のブログに書いてあってぶっとんだ表現。こういうことをいけしゃあしゃあとかける人はある意味すごい。
  • X/非Xという二分法ルールをメタに茶化す例。「この世には2種類の人間がいると思っている奴と、そうではないと思っている奴だ。」まあこのような文章をまじめに書いているのが馬鹿馬鹿しくなるような、大人な意見です。
  • 最後に、問題。「この世には10種類の人間がいる。 10進法が分かる奴と、そうでない奴だ。 さて、わたしは前者か後者か?」プログラミングをする人なら、からくりがわかるかもしれません。

see also, この世には2種類の人間がいるのガイドライン (大部分はここからの引用)