カラコルムハイウェイの残尿感

  • ま、それはいいとして、とりあえず2002年の夏にカラコルムハイウェイでフンジュラーブ超えを志したことについて書きます。ジャンムールートを含めて、そのころにはアジア近辺の陸路国境はだいたいやり終わってたんだけど、このフンジェラーブルートはなんかこう、お得感に欠ける気がして避けてたんだよね。まずインドをすっとばさなきゃいけない。カシュガル越えたらフンザまで降りないといけないから華がないってのが気に食わない。それに旅の終着がピンディーってのもやる気が失せる。


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  • それでも一応ここを超えとかないと残尿感ありますよやっぱり。沢木耕太郎とかにムダに影響されて胸ときめかす若者とかいるじゃないですか。そういう若者には「おいちゃんも昔は陸路越境が好きでいろいろねえ・・・」とか武勇伝かましたいじゃないですか。でも「当然フンジュラーブも超えたんですよね〜〜」とか逆襲されたら普通に困る。「フンジェラーブも超えてねーのかよwwあのオッさん何気にモグリっス☆」とかいわれたら立ち直れないじゃないですか。
  • そんな理由で(ではないのだけど)2002年の夏は高額なパキスタンエアの北京inイスラマバードoutのオープンジョーチケットを買ってフンジュラーブ超えを試みましたよ。チケットは14万円位しましたよ。アホみたいな値段ですよ。北京からウルムチ組んだりまでヘイコラ移動して、新疆をそれなりに楽しんで、あとはフンジェラーブ超えるだけっす〜とか言ってカシュガルで余裕かましてたら、がけ崩れ。ビバ!国☆境☆封☆鎖☆! 復旧の目途立たずですよ。もうアホかと。ついてないこと母を訪ねて三千里のマルコの如し。
  • でも僕のなかの壊れてない部分を一番えぐってくれたのは、国境封鎖という事実ではないのです。そのころカシュガルの定番宿のチニワク賓館のドミトリーで同宿してた金井さんですよ。後の「旅行人ウルトラガイド アッサムとインド北東部」の著者ですよ。この方、なけなしの金をはたいてユーラシア大陸のどまんなかくんだりまで来て進退きわまっている僕に、「他人の不幸は蜜の味☆」とのたまいやがってくれました。本当にありがとうございましたw ま、昔一冊だけ書いた僕の本をなぜか読んでてくれたりしたんで許すけど。
  • 結果的には、国境封鎖が解除されるのを待てずウルムチまで戻り、そっからイスラマまで飛んで帰りました。学生の身には偉い散財だった。400ドルくらいしたような記憶がある。
  • それでもこの年の旅は遠縁つながりが重なった旅で、長く印象に残っている。
    • チニワク賓館で僕にジーンズをくれたラブリーひでちゃんは、翌年3月ジンバブエのビクトリア滝で再開することとなった。ひでちゃんにもらったジーンズはいまでも履いている。
    • チニワク賓館で同室で、僕を世間知らず呼ばわりしてさんざん調子くれてた彼女は、件の本の共著者の知り合いであることが判明した。
    • ピンディーに戻ったあと寄ったラホールで出会ったおっさんとは、後にラダックで再開することとなった。さらに、その二年後にズーリックの空港で二回目の再開を果たすこととなった。
  • 散々な思いをして帰ったら、学校が火事で焼けていた。2002年てのはそういう夏でした。あれから五年。今年は旅にいけやしない。今なお残尿感は残ったまま。やれやれですよ。


See also,
カラコルム・ハイウェイ - Wikipedia

  • 金井さんの本はまごうかたなき名著です。あんなマイナーな(でもないけど)エリアを、旅行情報のみならず、地理・風土・歴史の観点から細大漏らさず紹介しています。読めばわくわくするはず。数寄者ならば。

アッサムとインド北東部 (旅行人ウルトラガイド)

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亜州回廊―インド・中国の旅

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僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)

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